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※この内容は模擬葬儀の内容です。

なぜ死ななくてはならないのでしょうか?【常円寺 住職 阿部光裕】
 「葬儀そのものを見直したい、そう思っていたんです。当事者の坊さんである私たちから見ても、現在の葬儀のありかたは、一般社会から乖離しているように感じます。なにしろ使っている言葉やお経が分かりませんよね。当のお坊さんにだってわからないくらいなんです。でも、なんとかして人々に伝わる言葉で葬儀を行いたいんです。
 鎌倉時代以降に口語体で葬儀を行った教団はありませんが、今回は文語体から口語体に変えて行うつもりです。それに、言葉のこと以外にも、『死の準備教育』のひとつとして考えています。つまり、『いのちの教育』ですね。死について考えることでこそ、命の大切さがわかるのではないか、そこがスタートです。黒澤明監督の「生きる」という映画がありますが、あれを思い浮かべていただけると早いと思います。死期を悟ったからこそ、世界が変わり、生きる意味が分かる。姿勢を直して、生の輝きを知ることができる。
 そんなことを考えていた頃に養老先生の本を読み始めました。すると驚きました。養老先生の命のとらえ方というのは、仏教のとらえ方そのものだったんです。われわれにとっては非常に心地よいものでした。
 今回の集まりは全国数ヶ所で行う曹洞宗の青年会の三十周年記念事業の一環なんです。もともと『お坊さんにもの申す!』というテーマで全国曹洞宗青年会に対して講演会をお願いしていたんですが、その翌日に行う檀家さんや地元の人を招いての講演会も追加してお願いすることになったんです。後者は千人ほど集まるんですが、会場の参加者は、養老先生の講演会を聞きにくるつもりなので、葬儀がおこなわれるなんてことは知らないでやって来るということになります。
 ということは、「ドッキリ葬儀」ということになる。養老先生はなんと言って引き受けたのでしょうか?「趣旨を説明してお願いしたところ『いずれ私も逝く身ですから』と、寛容に引き受けてくださいました。そのお気持ちをありがたく受け止めて、極めてまじめに行います。仏教の世界へ参加者をうまく導けたらと考えておりまして、その旗振り役を養老先生にお願いしたわけです。ですので、最後には蘇っていただき、それについてやはりお話をしていただきます。」

※株式会社 新潮社「養老先生と遊ぶ」より抜粋
葬儀風景(養老氏は最後列で見守っていました) 式次第(模擬葬儀の内容が記載されています)
養老先生と2人での対談風景 模擬葬儀での法話風景

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